K君とマージャン

 今月下旬に北海道旅行に来る熱海時代の後輩K君から過日、お土産の先渡しが送られてきた。しば漬けまでいれてくれた、って君は俺の母親かぁ 笑 しば漬けを見た時に吹き出して頭に浮かんだのは ♪ 届いたオフクロの小さな包み・・アノ、故郷に帰ろうかな、帰ろうかなぁ・・千昌夫さんの北国の春の歌詞。

 

 K君はコック志望でホテル入社した。勤務していたホテルは熱海では当時唯一、日本ホテル協会にも加盟しているホテルで、なんと言ってもメイン・ダイニング「コーラルルーム」※コーラルルームと言うのはダイニングの名称で、帝国ホテルのメンダイは、当時フォンテンブローだった、と思う。横道に逸れました。メンダイは3階にあって当然、洋食の調理場があった。コックとして調理場に入り白衣を着る前に数月間、ウェイターを経験させていた。これは調理人が作った料理がどの様にしてお客様にサーブされるかをしっかりと頭に叩き込ませる意味があった。

 

 K君はネアカで、兎に角愉快な奴だった。私がマージャンを覚えたのは遅くって21、2の頃、熱海でK君、S君、Sさんとメンツが固定化され、徹マンがノーマルだった。覚えたての私は3人にはいつも授業料を支払う立場だったが、初めての役満は、ダブル役満だった。私の頭には字一色しかなかったのだが、自摸して牌を開いたら、Sさんが、それ小四喜もあるよ、と教えてくれたのでした。

 

 私たちは時としてアパートの屋上でも日光浴マージャンと称し、ジャン卓を屋上に持って行って太陽の下で打った。ランチにカツカレー注文した時は笑った。「山田アパートの屋上にカツカレー4人前お願いします」「エッ!!屋上ですか」「ハイ、屋上でマージャンしています」

 

 また、海水浴場で砂浜でも打った。太陽を背にすると熱いのなんの。コノ海水浴マージャンはこちらに来てから山荘の仲間とも海水浴に行ってはジャン卓持参して遊んだものです。

 

 今月下旬が待ち遠しく思っています。